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札幌高等裁判所函館支部 昭和27年(う)103号 判決

控訴人 被告人 久米安治

弁護人 赤井力也

検察官 後藤範之関与

主文

本件控訴はこれを棄却する。

理由

本件控訴趣意は弁護人赤井力也の差し出した末尾添付の控訴趣意書記載の通りである。

論旨は、住居とは少くとも人の居住を志向すること(食卓と寝台の設備あること)を必要とする。然るに本件店舗は宮腰新太郎が初めから居住を志向しない場所であることは争のない事実であるから、被告人が宮腰新太郎の本件店舗にはいつたことは住居侵入の所為としては違法性を欠き住居侵入罪を構成しない。

また被告人が宮腰新太郎の商品を同人の店舗から其の住所に搬出したのは、被告人において自己の所有である右店舗の工事の都合上やむを得ざるに出た行為であり、個人的自由資本主義の経済組織と大工業的機械の発達した現時にあつては常に見られる現象であつて、結果において業務妨害となつても、その方法は威力を以てしたものということはできない。従つて刑法第二百三十四条の業務妨害罪を構成しない。然るに原判決は本件告人の所為を住居侵入罪及び業務妨害と認定して各その法条を適用したのは法の解釈を誤り擬律錯誤の違法があるという。

しかし人が自ら占居して商売を営む店舗は、たとい外に住宅を有し同店舗には食卓と寝台の設備なく寝泊りしない場合であつても刑法第百三十条に所謂「人の住居」であることは同条の解釈上当然のことである。また刑法第二百三十四条の対象たる威力を用いて人の業務を妨害する行為の「威力を用いる」とは暴行脅迫、社会的経済的優越の力又は地位を利用して人の自由な意思を抑圧する勢力を示すことで、店舗を明渡させるために実力を以て内部の商品を運び出すが如き行為がそのうちに包含されることは勿論である。原判示函館市松風町十六番地の四所在の宮腰新太郎の店舗は、同人が昭和二十一年十月頃から石田恒蔵より転借し尓来文房具、簿記帳、紙類等の販売を営んで来ていた場所であることは原判決の示した原審公判調書における被告人の供述記載検察官作成の宮腰新太郎の供述調書により明かであつて、右は刑法第百三十条の住居というに該り、被告人は昭和二十五年四月頃宮腰新太郎の営業中なる原判示店舗を階下の一部とする家屋の所有権を取得するに及び、自らその場所で菓子製造販売の業を営むことを企図し、同年七月頃から石田恒蔵を通じて宮腰に対し右店舗の明渡方を要求していたが、宮腰がその明渡を為し兼ねているうち、被告人は同年九月十六日朝四時頃から六時頃にかけて、宮腰新太郎に無断で実力を以て右店舗内からその商品の全部と陳列棚、ウインドウ、机等一切の備品を小型自動車四台で函館市内万代町の宮腰の居宅に搬出した事実は原判決の示した右証拠及び検察官作成の中村宇一郎供述調書を綜合して認められ、その所為は刑法第二百三十四条の威力を用いて宮腰新太郎の業務を妨害したことに該り、原判決がその挙示する前記証拠によつて原判示事実を認定し原判示摘示の法条を適用したことは正当であつて、原判決に何等法の解釈適用を誤つた違法がない。論旨は理由がない。

よつて本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条によりこれを棄却し主文の通り判決する。

(裁判長判事 原和雄 判事 小坂長四郎 判事 東徹)

弁護人赤井力也の控訴趣意

第一点原判決は法の解釈を誤つた違法がある。

1、住居とは自然人の居住する場所即ち私生活の場所である。勿論現実に人が居住することを要件としないが居住を志向することを必要とする(食卓と寝台と)。然るに本件に於ては最初から居住を志向しないことは明白で争のない事実である(証拠の引用は公判に於て之をなす)。然らば原判決は法律的事実の解釈を誤まり擬律錯誤の違背があると言はなければならない。

2、次に威力を用い業務を妨害するてふ法律概念の解釈を誤まつた違法がある。他人の業務を妨害するという結果は現時の個人的自由資本主義の経済組織と大工業の機械文明の発展した今日に於ては常に広く行わるる現象である(Hobbes 人は人に対して狼である万人の万人に対する戦で)。従つて刑法規範が禁止する業務妨害行為は威力てふ手段性を必要とする。被告人が宮腰新太郎の商品を其の住所に運搬したのは「工事の都合上邪魔になるから止むを得ずに為した」までである。事実上(自然科学的因果律として)妨害てふ結果を発生したもので威力を以ててふ主観意識な手段性を欠くのであるから刑法第二三四条の犯罪は構成しないと信ずる。

第二、原審判示住居侵入の所為は違法性を欠くもので犯罪を構成しない。

実在は一定の形を具えた全体であり構造を持つた場(FELO)である。物それ自体には分化はない、然るに原審判決は原子論的な考察を為し犯罪構成要件の範疇を要素にまで分析した。然し「一つの観念を徹底的に考えることはあまりにたやすい。困難なことはむしろ必要なところで演釈を止め諸特殊科学の研究と又絶えず実在と接触を保つことによつて其の観念を適当に屈曲せしめることである」とベルグソンは言つた。判決は単なる法の論理的な適用ではなく具体的な法の定立である。単なる論理によつて自分の理論を築き上げる代りに経験を重んじ民衆の法意識や法感情を汲みつつ法的規範を発見するという心構を忘れてはならない。綜合なき分析が盲目である様に分析のない綜合は空虚である。真の綜合は分析を内に含むことによつて分析が進めば進むほどそれだけ却つて其の内容を豊かならしむるような綜合でなければならない。而してかかる意味に於ての綜合的精神こそ今後の刑事裁判官に与えられた使命でなければならない。

以上の様な見地から本件の価値判断をするならば犯罪の成立として違法性を欠くものと言わなければならない。検察官の起訴は之を遺憾とする。

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